私は、ブルーベリーに興味を持ってから、そして、本サイトを立ち上げようと思ってから、意外と真剣に「趣味」とは何だろうと考えはじめた。そして、この「趣味」のイメージは、「hobby」という感覚ではなく、あきらかに「pleasure」というべきものであった。
もちろん、人によって、趣味というものの捉え方や定義が異なるのは当然なのであるが、私は、「仕事」同様に、かなり真剣に向き合っていたようだ。そして、そこには、むしろアイデンティティの充足を感じていた。
だから、趣味といいながらも、気軽なものではなかったような気がしていた。
以上のの記述が、過去の表現となっているのは、「題材」としてのブルーベリーは、もはや終焉したことを意味する。
なにゆえに、日本では欧米のようにブルーベリーが食材としても一般的に受け入れられないのかを理解したとともに、ブルーベリーの持つ限界を含めた本当の実像に自分なりに辿り着いてしまったのである。
「ブルーベリーは本当に美味しい。」これは、事実である。
そして、日本では信じがたいほど多くの人が、「本当に美味しいブルーベリー」を知らない。さらに、100円玉サイズや500円玉サイズのブルーベリーの存在などは、さらに多くの人が知らない。一般マーケットで販売されている傷んだ小粒のブルーベリーが、一般には「ブルーベリー」なのである。
一方で、「ブルーベリーは目にいい」という情報も、ある程度広く認知されているものの、その実際の効果も、正しく認知されていない。つまり、「それなりの量を摂取しなければほとんど意味がないこと」や「その効果は6時間後に現れ、24時間で完全に消えてしまう」ことなどはほとんど認知されていない。つまり、一般に浸透した「目にいい」という効能は、ブルーベリーを常に摂取し続けなければ、全く意味がないことなどはほとんどの人が知らない。
また、栽培においても、「病害虫が少なく育てやすい」という定説は、少なくとも日本の気候においては完全に誤りであるといってもいだろう。
確かにすべての果樹と相対比較するならば、害虫が少ないのは事実である。しかし、特に都会ではコガネムシなど致命的な害虫が多いことを勘案するとこの定説はかなり怪しいものとなる。
さらに、病気に関しても、品種の同定以上にブルーベリーの病気の同定というものが、全くといっていいほど確立されてなどいない。日本で入手可能な優に100を超えるブルーベリー品種のうち、主に暖地に適した強健なラビットアイ系品種以外、日本の気候で、特に温暖な関東平野部以南では、健全に成育する品種は、数品種に過ぎないかもしれない。
つまり、ほとんどのハイブッシュ系品種は、その栽培において相当な問題を抱えている。初期導入された北部ハイブッシュ系品種でさえ、多くの産地の試作において、その脆弱さが指摘されている。
強健なラビットアイ系品種に接ぎ木することによって、ようやく産業として成立している産地も多い。実際に、日本の多くの地域で健全な成育は不能と判断された北部ハイブッシュ系品種は多数存在する。さらに、地植えよりは土壌管理が行き届くはずの鉢植え栽培でもその脆弱さは証明されているといえる。また、暖地向きの系統であるはずの南部ハイブッシュ系品種の栽培成功事例が、現在のところ、ほとんど見あたらないのも事実である。
このような状況に、さらに趣味での栽培というフィルターを掛けるならば、推奨品種は相当に僅かなものとなる。つまり、趣味でブルーベリーを栽培するのならば、営利栽培以上に果実品質のみならず、美観も重視されるからである。
先のブルーベリーの病気の問題であるが、完全な病気と同定できなくても、葉に斑点の出やすい品種などは、果実のみを目的とする営利栽培ならばともかく、仮に成育や果実品質に影響のでない病気であったとしても、美観を重視する趣味の栽培としては是認しがたい症状といえるだろう。
そして、それは、あきらかに品種特性として、発生しやすいものと発生しにくい品種が存在し、実際には、かなりの確率で発生しやすい品種が大多数を占めるのである。
先に、インターネットの情報を「玉石混淆」であるとか、「有象無象」が渦巻いた後、本物だけが評価されると述べたが、何万分の1の確率で選抜されたはずの優に100を超えるブルーベリーの品種自体が、「玉石混淆」であり「有象無象」であるといっていいだろう。
そこに辿り着かない方が、「趣味」としては楽しいものだったのかも知れない。しかし、物事を極め尽くす性格の私としては、数年で日本におけるブルーベリーの限界が見えたような気がしている。
実際、美味しいブルーベリーを送り出す生産者の多くは、私には到底真似ができないほどの労力を尽くしているとともに、愛着を持って従事している。あるいは、ビジネスとして割り切った付き合いになっているかのどちらかである。
「按ずるに筆は一本なり。箸は二本なり。衆寡敵せずと知るべし」
真の文筆家は貧乏で飯が食えるはずがないということを風刺した明治時代の文壇の鬼才、斉藤緑雨の言である。 私は、ひそかに、ブルーベリーが職業でなく、趣味であって良かったと思っている。
しかし、ブルーベリーはマイナーな存在であったがゆえに、趣味の「題材」としての意義は極めて大きかったといえる。
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