「サイト運営の考え方」で述べたとおり、プロモーションや知名度アップを目的とした営利のサイトはともかく、個人の趣味サイトで実名によって運営されているものは極めて少ない。また、アカデミックな分野以外で、「お気軽」感覚や「楽しさ」感覚が希薄なサイトなど、まさに稀有な存在であるはずだ。
よって、私の、このような形態と内容でのサイトの開設と運営は、かなりマイノリティーな確信犯的なものであったといえる。しかし、実際のサイト運営における成果は、半年も経ずして、しっかりと現れたのだった。
私は、「サイト基本コンセプト」において、あえて一般のWebサイトの公式と逆行する不特定多数の閲覧を歓迎しない姿勢を名言するとともに、そのコンテンツにおいても「お気軽」感覚と「楽しさ」感覚とを排除した。
その目的は、実社会よりもさらに非常識がまかり通るネット社会において、ノイズの排除を狙ったものである。
当然、私のサイトを閲覧することは誰でも自由なのであるが、上記の運営意図によって、私に直接コンタクトしようとする閲覧者は、本当にブルーベリーに愛着を持った人か、それなりの意志を持った人に限られるのである。逆に、ブルーベリーに愛着を持っていてもマナーに自信のない閲覧者や人間性が欠如した閲覧者は、まずはコンタクトして来ないのである。
さらに、本サイトにおいて、ブルーベリーとは、あくまでもテーマであるのだから、そのテーマを超越したコミュニケーションは、さらに上質なものとなるため、そこに仮名性が必要とされる土壌自体が存在しえないこととなる。
営利サイトにおける閲覧者の見境のない風当たりは、ある意味仕方ないかも知れないが、その内容はというと、大人の幼稚さゆえ始末が悪い。
現在、私とコミュニケーションのある営利サイトや趣味サイトを展開している人は、不埒な閲覧者に対する腹立たしさを感じているという事例が少なくはない。営利はともかく、趣味サイトにおいては、掲示板をはじめとした希薄なコミュニケーションにおいては、見ず知らずの不埒な閲覧者のために、不快な思いをする必要性自体が存在しないと私は考えている。そして、その根本的な原因は、やはり本人を特定できない仮名性に他ならない。つまりは、許されてしまう「自由気ままさ」と「身勝手さ」を是認せざるを得ない環境構築にある。
そういう閲覧者は、少なくともバーチャルな社会ともいえるネット上では相も変わらず2chなどで誰かを罵倒つづけるものの、結局はその本来的なバーチャル性によって永久に精神的充足感など得られないのである。「電車男」は、現実の出来事を題材としたフィクションであり、現実そのものではない。
ネットを通して人間を観察すると、3つのタイプが存在ことがわかる。実名でも仮名でも良識を保てる極少数派、そして実名でも仮名でも非常識な、やはり極少数派。前者は、優れた人間性の持ち主であり、後者は、ネット社会に限らず、すべての社会においても不適格者といえる。
そして、最後に、実名では良識の持ち主であるにも関わらず、仮名となると気分次第で非常識にもなってしまう大多数が存在する。しかし、実は、これが極めて正常な、ごく普通の人間の姿でありマジョリティなのである。これはある意味、やむを得ない人間心理の闇の部分でもある。そして、それを引き出すことを助長してしまうのが、ネットという半バーチャルな世界だと考えている。
面白いことに、これほど狭くてマイナーな日本のブルーベリーの世界であるにもかかわらず、私が出版しようとするブルーベリー書籍「ブルーベリー大図鑑(仮題)」が、2chにおいて1週間程度にわたり話題になったことがある。
しかし、その内容を観察し、具体的な事実を直視するならば、日本では欧米のようにブルーベリーが日常的なものとして広く普及するのは、まだまだ先のことか、あるいは実際にはあり得ないのではないかと、私には思えたのだった。
1週間程度にわたり話題になったといえ、ただでさえマイナーなブルーベリーの世界において、私の書籍を賛否両論している絶対数があまりにも少なすぎるのである。実際に2chに書き込みは行わずに傍観していると想定される閲覧者を考慮したとしても、やはり日本のブルーベリー人口はたかが知れている。ましてや、そこそこ分かった人間は、ごく少数で、限定すら可能である。つまり、結局、2chでは、その話題が1週間にもわたっているにもかかわらず、せいぜい十数台程度のPCから議論が交わされたに過ぎないのである。
なぜなら、この議論は、本サイトの閲覧を前提としているため、このサイトにアクセスしてきた件数以上ではあり得ないのだ。確かに、当時の本サイトへのアクセス件数は、相当なものであったが、その大量のアクセスログデータを、単一化すれば、実際には、同一人がかなりの回数でアクセスしているに過ぎないことがわかる。
だから、私が「サイト基本コンセプト」で批判したアクセスカウンタなどは、大衆が閲覧しているということの裏付けや指標になどならないのである。そして、その閲覧者のうちの、さらなる一部が、極めて狭い世界であることも認識せず、仮名性ゆえの無責任さを楽しんでいるに過ぎない。
だから、その議論の内容を静観すると、面白いことに、先の3タイプの人間がそのまま登場してくるのである。
私は、本サイトにおいて、実名による責任感に裏打ちされた、その時点での可能な限りの情報を開示し、客観的かつ論理的な表現を試みているつもりである。それに対し、少ない情報にもかかわらずそのオリジナリティを正当評価してくる者。逆に、いまだ実体も不明な私の著作物について、ただ単に不埒な苦言だけを呈してくる者。そして、多数は、興味こそ持っているものの、その議論には参加せず傍観し、時として全体像を理解せずに、言いたいことだけを勝手に述べて消えていくのである。20歳になれば、ほぼ無条件に選挙権が与えられるのと同様、パソコンさえあれば非常識な人間であろうとも、ネットへの参加は自由なのである。
よく、2chへの書き込みから大衆に火がついたなどというが、それは、大衆としてのオーディエンスがその土壌として存在してはじめて意味を持つ世界なのである。日本のブルーベリーに関与者の人口自体がマイノリティであり、さらに、2chのブルーベリー板などは、結局、近所の顔見知り同士の井戸端会議のレベルに過ぎない。八割方は知っている人間が、仮名で言いたいことを言っているのが実態である。場合によっては、面識がある人間同士が、それを互いにわからぬままに、言い合っているという滑稽ささえも伴う。
つまり、現在の日本で、ブルーベリーにそれなりに詳しい者など、一握りに過ぎないのである。彼等には、バーチャルなネット上だけでなく、当然、実生活も存在し、そこでは、もちろんバーチャルな活動は不可能なわけで自分自身として行動しているのである。このブルーベリーのように狭い世界では、その気になれば、完全な「特定」は無理でも、不埒な発言者が誰であるかなど簡単に「想定」することができる。このマイナーさこそが、日本のブルーベリーの現状であり、先に広くブルーベリーが普及することに対して否定的となった最大の理由なのである。
自社サーバーを所有する法人名義ならば、ほぼ特定が可能である。実際に、アクセスログデータから、最低限、閲覧者のプロバイダは判明するわけで、そうなれば、自社サーバーを所有していなくとも、そのプロバイダに自らのサイトなどを開設し、依存している場合がほとんであることを前提とするならば、この狭い世界では、閲覧者のある程度の「想定」は十分可能なのである。さらに、固有の発言内容が加われば、仮名性など事実上あまり意味を持たなくなるのである。しかし、発言者を特定するなどということに、その気になること自体馬鹿げているともいえるだろう。
このような、アクセスログデータの本質も理解しないまま、趣味のサイトにおいても、サイト分析が流行っている。つまり、アクセスログデータをもとに閲覧者の流入流出や閲覧傾向を掴み、サイトの弱点を発見し改善しようとするものである。
本来的にアクセスログデータの分析は、マスを前提としたWebマーケティングの1手法である。最近では、これが個人サイトにまで波及しているのだが、これは、まさに「似非マーケッター」の「マーケティングごっこ」以外の何物でもない。なぜならば、個人の趣味のサイトなど、その母体が本来的にマスでないのだから、そのマーケティング的発想など、ほとんどの場合、事実上の意味をなさない。ましてや、その本質は、営利でなく趣味にあるのだからなおさらである。
そのような中にありながら、本サイトや私の著作物に関するメールでの問い合わせは、もちろん実名の方々ばかりである。そして、当然、その内容は、すべてが極めて真摯な姿勢によるものである。
さらに、私が一般的な現象として「サイト基本コンセプト」で批判してしまった、ハンドルネームによる管理人やお遊び感覚の溢れたサイトの方からも、もちろん実名で、本サイトを自らのサイトからリンクしたいという旨のメールが何件かあった。
ここに、有象無象渦巻くネット社会で、玉石混淆のWeb情報の中にあって、個人の趣味サイト立ち上げにおいて、私が考えたノイズ除去フィルターの意義が成果としてあらわれたと確信している。
私の「サイト基本コンセプト」におけるいくつもの批評と難解さを含むコンテンツによって、広く一般を対象としたWeb上においては、本来あるべき多くのコミュニケーションを犠牲にしたのは事実であろう。
しかし、この極めて異質なノイズ除去フィルターは、それ以上に意義のあるものだけを抽出したといえる。それは、極めて短期間のうちに、私自身に何のノイズも、何の煩わしさも感じさせることもなく、少ないながらも上質なコミュニケーションのみを実現したからだ。これが、本サイトの基本コンセプトが具現化された、ささやかだが極めて有意義な成果だと感じている。 |