どうして万年筆だったのか

対極に感じた「魅力ある何か」

 毎年大量の広告費を投入可能な、常に右肩上がりの企業と多くの仕事を共にしてきた私は、クライアントやメーカーの方々との会話の中で、一抹の後悔を共有することがあります。それも、重要かつ難解なプロジェクトが無事終了し、関わった商品が好調な売れ行きを示し、本来ならば楽しく一息をつくシーンでのことです。

 それは、私も、クライアントも、メーカーも、心の中ではその商品に納得していなかったからではないかと思うのです。ビジネスとは、所詮そういうものだという思いはあります。しかし、必ずしもいいものばかりを世に送り出してきたのではないという若干の後ろめたさを感じることがあるのです。

 右肩上がりのマーケットでは、常に多大な投資とリターンとの好循環を生んでいます。 私のビジネスは、広告やプロモーションに金をかけないマーケットとは、むしろ疎遠だったのです。だから、ある意味、それと真逆にある万年筆という商品やマーケットに興味を抱いた気がしているのです。また、自分が関与してきたビジネスでは、いつのまにか忘れかけてしまった何かがあることを直感したのかもしれません。

 そして、そこに感じた「魅力ある何か」を、再び自らの専門ジャンルにフィードバックできないものかと考えたのかもしれません。そのような思いが、万年筆に注目し短期間で「万年筆ミュージアム」という書籍を企画出版した背景にあった気がしています。

 確かに、当時私は「富裕層マーケティング」に関わる仕事をしており、それに関連したテーマを模索していました。また、それをうわべだけでなく実感として理解する必要性があったのも事実でした。したがって、この万年筆という存在は、ある意味それにふさわしいテーマだったのかもしれません。しかし、ビジネスでのニーズを超え、私の感性に訴えてきた「魅力ある何か」を万年筆が感じさせてくれたことも紛れもない事実だったはずです。

どうして万年筆だったのか