私は、普通の人よりも後から始めたようなものに対して、いつも短期間でそのブランクを埋めたいという衝動に駆られます。現代における「万年筆」とはいったい何なのか?。そのポジショニングは?。いつも通りの強い興味と好奇心から、当然1本の万年筆では飽き足らなくなりました。各メーカの個性や特徴、そして方向性や位置づけが気になって仕方がなかったのです。つまり、筆記具としての万年筆ではなく、このマーケット自体に興味を持ったということだったのでしょう。
それには、まず資料集めによる概略と詳細の理解から入ることになります。最初に入手した枻出版の「趣味の文具箱」やワールドフォトプレスの「万年筆スタイル」のバックナンバーなどはとりあえず全部揃えたのですが、最も有益だったのは、これら専門誌よりも時々のトレンドや雰囲気を的確に伝える一般誌の万年筆特集だった気がします。

万年筆マーケットの概略把握で、最初に最も気になったのは、「幻の逸品」とか「垂涎の的」という表現が頻繁に使われることでした。それは、どの程度のレベルのものなのかということを知りたいと思ったのでした。さらに、様々なテーマで製作された多くの万年筆を、好みの問題という「バリエーション」論で片付けるのではなく、商品(プロダクト)として真に優れた高いクオリティ「レベル」とはどういうものを指すのか?。
そして、そのような逸品は、実際にどれほど存在するものなのか。それを的確に判断できる明確な基準(モノサシ)を自らの中に持ちたいと思ったのです。つまり、私が「魅力ある何か」を直感した万年筆という商品がホンモノであるならば、それを題材としたこの「モノサシ」とは、あらゆるジャンルに応用可能な「ノウハウ」になる気がしたのです。
これが、興味を持ったモノに対する私の基本スタイルになるわけですが、長い年月をかけて1本の万年筆を使い続け、それに愛情を持って接してきたであろう一般的愛好家にとって、このような性急で異質なアプローチは、全くもって理解しがたいことでしょう。それでいて、モノに対して冷めているようなところが、なおさらのこと違和感を与えるのかもしれません。
その考えの根本には、所詮「モノ(ツール)」だという割り切りがあるのです。「モノ」に対して「愛着」は感じても「愛」までは注がない。私は、その「モノ」だけに目を向けるのではなく、それを創りだしたメーカーや技術者のクラフトマンシップにこそ賛辞を贈りたいと思うのです。私がビジネスとして携わってきたマーケット、特にメカニカルなジャンルでは、製作現場の取材記事(=賛辞)をプロモーションに連動させることがよくあります。その販促活動は、もはや商品とセットとなったもので、すでに価格に反映されているか販売予測を見込んでのことなのです。
つまり、その本質理解に説明が必要な多くの商品があり、その一方でそれを必要としないごく少数の優れた商品があった場合、私のビジネスではその双方を最も効率的に販売することを考えるわけです。そのような「売るためのノウハウ」を仕事にしているわけですが、この万年筆という商品を深く見つめることによって、違う視点を持てる気がしたのです。それは、いわば「買うためのノウハウ」、つまりモノの真価を判断できる「審美眼」に酷似した感性(ノウハウ)を習得できる気がしたのでした。これは、自らのビジネスへのフィードバックのみならず、自分自身へのフィードバックだったと思っています。