モンブラン「ヘミングウェイ」の想い出

「幻の逸品」「垂涎の的」

 モンブラン作家シリーズの初代「ヘミングウェイ」は、同じくモンブランパトロンシリーズの初代「ロレンツォ・デ・メディチ」と並んで、多くのメディアが「幻の逸品」あるいは「垂涎の的」と祭り上げる代表格でした。その真贋を確かめるためにも、この「ヘミングウェイ」は、どうしても入手したいもののひとつでした。

 限定品ながら2万本が生産されているにも関わらず、1992年の発売から優に10年以上も経過した人気シリーズの初代プロダクトは、当時二次マーケットを視野に入れても在庫はもどこにも存在しませんでした。

 仕方なく入荷次第連絡をもらうということで複数の店舗に予約をしておくしかありませんでした。ところが、5人以上も予約が入っていると言っていた店から、ほんの2週間ほどで入荷の知らせがあったのです。確認の電話で「あなたホントに欲しいのかい?」という真意を確かめるような念押しがあったのが印象的でした。

Hemingway

情緒的な付加価値

 そんなわけで念願の「ヘミングウェイ」が手に入り、声をかけていた別のお店に入手の報告をすると、購入したお店をよく知っている一人から、「あの店は最初から持っていたんだよ。あなた気に入られたんだね!」と言われたのです。

 本当に5人も予約待ちがいて、それを差し置いて私に譲ってくれたのかどうかはわかりませんが、どちらにせよ私自身がそのお店の方に譲ってもいいお客として認められたことが少しばかり嬉しかったのを憶えています。

 それが、私にとっては忘れがたい「ヘミングウェイ」の想い出なのです。 そして、このようなエピソードが、1本の万年筆にさらなる情緒的な「付加価値」を与えるのです。ただし、このような個人的な事例は、普遍性を持たない極めて主観的な「付加価値」に過ぎません。この事実を共感を生む普遍性のある話題へと昇華させ、良好なコミュニケーションの構築に繋げることができてはじめて、この万年筆が共通感覚伴った唯一無二の「付加価値」を有する存在となるのです。

Hemingway

客観的価値を考える

 一方、プロダクトとしてみた場合、正直なところ、私はこの「ヘミングウェイ」をそれほど秀逸なものだとは思っていません。モンブラン作家シリーズの初代という事実から、その実質価値以上の評価を得ていると感じているのです。確かに、その製作コンセプトどおり1930年代のモンブラン製品を偲ばせる雰囲気こそ醸すものの、2万本という生産本数も手伝って、そこには多くのメディアがいうほどの稀少性や逸品イメージを感じないのです。

 誤解を生まないために付言しますが、私は「ヘミングウェイ」をけっして低く見なしているわけではありません。前述したとおり、個人的には情緒的付加価値が極めて高く、さらに想い出深い1本なのです。それゆえに、あえて客観的に捉えてみたいのです。そうした場合、このヘミングウェイは万年筆の象徴的存在として、数少ない万年筆高関与度層と一部のメディアによってあまりにも高く祭り上げられている気がしてならないわけです。

 限定品とはいえ2万本も生産された商品が「幻の逸品」と位置づけられ、発売から十数年で定価の5倍近くもの価格が付くマーケットは、どこか人為的に歪められているといっていいでしょう。そこには、真の客観的「付加価値」など存在しないのです。

 事実、リーマンショックに端を発し100年に一度の大不況といわれた2009年には、かつてあれほど入手に困難を極めるといわれていた「ヘミングウェイ」が二次マーケットに溢れ、長期間にわたり複数在庫として店頭を飾りました。結局のところ、「逸品」か否かの議論は別にして、このマーケットにおいて2万本という生産本数が「幻」というべき存在でなかったことだけはこの事実によって証明されたのです。おそらく、実際には個人が未開封のまま多数所有しているのが現状なのでしょう。それこそが万年筆マーケットの裾野をさらに狭くしている一因ともいえるのです。