ガウディと個人的ノスタルジー

広告のアート性

 偶然にも「スピリッツ・オブ・ガウディ」のモチーフである「カサ・ミラ」が世界遺産に指定された1984年、日本ではアントニオ・ガウディをテーマにしたTVCMが話題を呼んでいました。

 当時の私といえば、広告に携わる仕事を始めたばかりの駆け出しの頃で、歴史や文化、そしてアート性までも感じさせるサントリーのCMには少なからず感動したのを憶えています。

 広告を「作品」だと捉えるようになったのも、このTVCMが最初だったような気がします。そして、1980年代といえば、広告の世界では「コピー」や「コピーライター」の存在が最も注目されていた時期でもありました。

普遍性と客観性

 最初は、そのような個人的ノスタルジーも手伝って、この「スピリッツ・オブ・ガウディ」という万年筆に強く惹かれたのかもしれません。

 そうなると、この「スピリッツ・オブ・ガウディ」と「サントリーローヤル」を並べて写真におさめたくなったのです。しかし、この写真を以上のような説明もなく捉えるならば全く意味不明であることでしょう。また、仮に説明があったとしても共感を覚える人などごくわずかなはずです。つまり、この写真は個人的ノスタルジーの産物であり、マスに訴える普遍性などどこにもないということを客観的に捉えることが重要なのです。

nostalgia

主観と客観、そして評価

 1980年代に最もカッコいい職種であった「コピーライター」は、1990年代になるとその座を「プランナー」に明け渡すことになります。そして、2000年以降は「アートディレクター」の時代になったといわれています。しかし、私はこの職種を前提とした広告業界花形変遷史には、根本的視点が欠けていると思っています。

 時代によって光りが当たる職種が変わったのではなく、その時代にその職種に就いていた優秀な幾人かが光彩を放ち、結果としてクリエイティブ全体を仕切る能力があっただけだと考えています。つまり、優れたものは、どのようなポジションにあろうとも真価を発揮するものなのです。そして、同様にそれを見極める価値観を有するには、レベルとバリエーション、そして主観と客観とを常に意識する必要があるのです。

 限定万年筆ということでいうならば、私は「主観」を抜きにしては傾注しなかったと思うのです。同時に「客観」を抜きにしては、その「価値」のみならず「マイナス面」に目が届かなかったと思うのです。つまり、主観はきっかけとしては極めて重要な要素であり、客観は正しい評価のために不可欠な視点なのです。さらに、好みのや拡がりとしての「バリエーション」を前提として、その「レベル」評価をした場合に、はじめてプロダクトとして真の秀逸さを感じることができると思うのです。重要なのは、真の姿を見極める力なのです。

 特に昨今の限定万年筆においては、アイデアだけに依存して、うわべの付加価値しか感じないものが多くなった気がしています。確かに、常に秀逸な商品(プロダクト)が生まれてくるわけではありませんが、メーカー(送り手)が頭でしかモノ造りを考えなくなったならば、このマーケット固有の優位性すらもいずれ消失してしまう危惧を感じています。そのような気配を如実に感じ取れるようになったからかどうかは不明なのですが、もはやこれ以上秀逸な製品が生まれてこない万年筆マーケットに対する興味というものが、最近薄れてきた気がするのです。