たかが筆記具、されど筆記具。

大きな視点の違い

 「最強のコミュニケーションツール」。私のビジネスシーンやスタイルを前提とした場合、これが万年筆に感じた最大の魅力です。実際の筆記具としての使用頻度は低くても、万年筆自体はコミュニケーションのきっかけとして、あるいは話題性あるアイテムとして大活躍しているわけです。

 このような魅力が過去に定義されたことがないのが原因かもしれませんが、これが多くの万年筆愛好家の感覚と相容れない部分であるようです。私は、筆記具としての魅力を低く見なしているわけではないのですが、最初から筆記具としての捉え方が甘い私の発想とのギャップはなかなか埋まらないようです。

 私は、万年筆の筆記具以外の「付加価値」に強い魅力を感じているわけですから、「されど」派ということになるのでしょうが、時として「たかが」を振りかざし、そのマイナス部分に斬り込み言及するわけです。一方、他の筆記具にないプラス部分に強い魅力を感じ、そのプラスを享受するためには、実際に存在するマイナス部分を厭わないというのが多くの万年筆愛好家の基本スタンスのようです。

大多数を占める「たかが」派

 広告やマーケティングに携わっているという職業柄、客観的な視点から見ると、大多数は「たかが筆記具」に対して「厄介」なことなど許容できないのです。「インクカートリッジ」という存在でさえ有り得ないのです。まして「インク瓶からインクを吸入する」行為など理解できない方が「普通」なのです。「普通」とは良い悪いではなく、好き嫌いでもなく、単純な「多数決」であり、その評価は当然時代や環境によっても変遷するのです。

 私は、万年筆の書き味、あるいはそれで書くことの素晴らしさ啓蒙することをけっして否定などしませんが、その押しつけを多くの場で感じることが多々あるのです。押し戻せない現実や時代の雰囲気を大前提として、万年筆の素晴らしさを普及させていくことが正しい方法論だと考える次第です。