究極のブルーベリージャム~ひとつの総括

 エコニコ農園から贈られてきた個性的な5製品を個別に評価し、再び試食し直した段階で、広告やマーケティングに携わっている私は、仕事柄もあってか、この5製品の明確なポジショニングマップが頭の中に出来上がっていました。そして、それは想定されるいくつかの消費者層の嗜好を網羅するものとして、製品戦略的にも有効なラインナップが確立されているようにすら感じました。エコニコ農園の製品開発者としては、試行錯誤の末に生まれた自信作の5製品ということになるのでしょうが、結果として見事な製品ポジショニングが整っていたということになるのだと思います。

 従来の私の個人的嗜好としては、低糖で生のブルーベリーに近い製品の延長線上に「本当に美味しいブルーベリージャム」「究極のブルーベリージャム」が存在すると考えていたのですが、いまだブルーベリーへの関与度や認識が低い多くの一般消費者を想定した場合の製品や、異なるアプローチによってブルーベリーの美味さを体感できる無加糖という新たな存在もあるのだということを強く印象づけられた気がしています。特に無加糖の製品を試食することによって、新たな興味が生じ、さらなる可能性を感じたのでした。

 以上が、私の評価なのですが、私が大変興味深く感じた無加糖製品を低く評価する意見があることを参考までに付け加えておきます。それも私が新たな興味や可能性を感じた「アーリーブルー単品種」が特にそれに該当するのです。これこそが、今後の商品化における課題ともいえるでしょう。つまり、客観的に捉えれば「通」などという存在は、極めてマイノリティだということです。私は「アーリーブルー単品種」を冷やさずに常温で味わうことに美味しさを感じましたが、おそらく多くの一般消費者(マジョリティ)は、それをさらに嫌うはずです。ブルーベリーよりもはるかに消費量が多く愛飲者が多いワインでさえ、ヴィンテージものの素晴らしさを理解する愛飲家は、ごく僅かです。さらに、理解していたとしても実際にそれを飲む愛飲家は、さらに僅かです。それが、以下のポジショニングマップの三角形の意味するところであり、実際の頂点の三角形は信じがたいほど小さいはずです。

 2009年の7月の訪問以来、6年以上を隔てての再びの結びつき。それを実現させるきっかけは、アウトサイダーながらも色褪せることのない情報を掲載していたこのサイトなのかも知れません。現代を象徴するメディアでありコミュニケーションツールでもあるブログやツイッターは、安易な情報発信が可能で、その軽さゆえに多大な魅力と人気を誇ります。しかし、過去のブログやツイッターが幾度も読み返されることは極めて稀なはずです。一方で、何年も更新すらされないブルーベリーサイトがここにあります。にもかかわらず、本サイトは月間1万件ものアクセスがあります。数千数万ものフォロワー数を誇るブログやツイッターとは当然比較になりませんが、何年間も更新されないサイトということを前提にするならば、これは驚異的な数字であり他に類を見ない存在なのかも知れません。

 諦めに満ちた現実から、ブルーベリーへの興味関心が薄れてきた私ですが、本サイトの内容はいまだに新鮮だと考えています。つまり、今でも過去の定説が実践され、新しい仮説が検証されず、新しい発想が生まれてこないのです。しかしながら、何年かに一度でも、このサイトを更新し新たな情報を掲載してみようと感じさせてくれるのは、私の定説にとらわれない発想や仮説に啓発され、それを実践し検証して実際の素晴らしい製品や手法にまで昇華させてくれる現場の農家さん達の存在なのです。それによって、私は趣味を超越し、仕事も超越し、興味関心が薄れかけていたブルーベリーの世界に時として使命感を感じることさえあります。今の世の中、使命感を感じられるような対象などなかなか存在しないでしょうから、私にとっては幸福なことだと考えています。

 その返礼は、このサイトがWeb上のブルーベリー情報源として稀有な存在であり続けることだと思っています。ここには、私がブルーベリーと関わったすべてと、今後の課題と仮説が集大成されています。他からの情報の流用は一切存在せず、自らが検証し確信した事実しか掲載していません。そして、真実を歪める存在、進歩を阻害する存在、矜持が感じられない行為に対しては辛辣な批評を展開します。

 本サイトの最大の課題は、一読では理解不能な難解な部分が多いことかもしれません。それが、ブログやツイッターとは真逆に位置する所以でもあります。しかし、あえて難解にしているわけではありません。情報を正しく把握し記憶し、さらにその本質まで理解することが、そう簡単なことではないというだけのことなのです。

 私自身、このサイトの内容を幾度も読み返して、記憶を新たにし課題を再認識することさえあるのです。忘却する生き物である人間にとって、反復以外にそれを阻止する手立てはないのです。また、基本幼稚でありながらも日々成長し進化し続ける人間にとって、今、理解不能でも、様々な経験を経た後に理解可能となる時が来るものです。あるいは、時を経ることによって、誤った解釈が真の解釈に至ることもあるものです。そんな私の意図を理解したマイノリティだけが、何年間も更新されることもない稀有なサイトでもそこに価値を見いだし、月間1万件ものアクセスをしているのです。そして、そこから得た有益な情報や啓発から、時として将来に繋がる新たなノウハウが生まれてきたり、私の予想を超えるような素晴らしい製品が具現化されたりするのです。

 それが、たとえ何年かに一度のことでしかなくても、その手応えは何ものにも代えがたい達成感と、新たな使命感を私にもたらしてくれます。私は、やはり一時の何千何万の無意味なフォロワーの数などより、価値ある現実の絆に大きな魅力を感じます。(2015年秋)