Chateau Mouton Rothschild 1973年

1973年のムートンとは

 1855年以来、118年間も変更されることがなかったボルドーの格付けにおいて、1973年、唯一ムートンが2級から1級への昇格を果たしています。そして、それを記念したラベルには世界的に著名な画家パブロ・ピカソの作品が採用されています。さらに、その1973年は偶然にもピカソの没年にもなったのでした。したがって、ボルドーワインの歴史やムートンのみならず、ピカソに関しても、このヴィンテージは非常に意味深い年なのです。

 しかし、このワインを飲み物として見た場合の評価は、けっして高いものではありません。実際、著名なワイン評論家ロバート・M・パーカーJrは「ボルドー第3版(講談社)」において次のような記述をしています。

 「芸術的に見てもワイン評価の見地からも、はっきり言ってラベルの方がワインより価値が上だ。樽の香りがきつくて木がにおい、果実味は急速に色褪せてしまう。ラベルが歴史的に貴重だという以外、このワインを持っている意味はない。飲み頃予想:現在-だが、飲み頃を過ぎているだろう 最終試飲月1982年2月」。

Mouton1973label

 

付加価値の値段

 私がこのムートン1973年に興味を持ち注目した2007年は、このパーカーの酷評時点から、さらに25年も経過していいました。しかし、当時の日本における一般的市場価格は優に6万円を超えるものでした。

 しかし、ワインマーケットとは面白いもので、時として、その半額ほどで販売されている場合もあるのです。さらに、状態が悪いと想定される場合は、その価格的根拠もなくなり、店によってはさらなる交渉の可能性を秘めています。ただし、それは、飲用可能性が限りなくゼロに近いと想定される場合がほとんどで、中身については完全に自己責任ということになります。実際、私が見たものは、液面がショルダーをさらに下回った状態で、これほどまでに液面が減少したボトルも珍しかったのを記憶しています。また、店の説明では、同時に輸入した数本を抜栓してみたが、状態は非常に悪かったということでした。

 このような場合は、まさに、これこそが純粋なる「ピカソラベルの価格(=ワインの付加価値)」だといえるでしょう。したがって、このボトルの中身には全く期待することなく、最初から貴重なラベルだけが目的の購入となるため、むしろ潔ささえ感じた気がしました。欲をいえば、コルクも綺麗な形で抜けてヴィンテージの印字が判別できて、写真に「記録」として残せれば最高だと思う記念碑的価値に、私は対価を支払ったのでした。

 

あきらめを前提とした抜栓

 キャップシールを剥がした時点で、すぐにノンリコルクと判断できた古びたコルクは、ワインの浸透によって相当に脆くなっていました。古いスポンジのようにボロボロになったコルクは、細心の注意を払ってもそう簡単には抜けませんでした。

 ようやく抜栓した後、当然中身には期待などしていなかったにもかかわらず、いつもの癖でコルクの香りを確認してみました。しかし、そこには予想していた酸化の印象が全く感じられなかったのです。と同時に「まさか!」という緊張が走ったのを憶えています。最初から中身をあきらめていた抜栓だったので、なんとグラスさえも用意していなかったのです。さっそくグラスを取りに行って、ほんの少量をテイスティングしてみました。

 その時、私はそこに「奇跡」を感じた気がしました。「美味い!」。その時、感じたものは単純なる味覚的「美味さ」ではなかった気がします。感動が伴っていたのです。この瞬間、私はワインに対する一つの価値感が大きく変わった気がしました。

 同時に、この「感動」とは、あきらめの「反動」によるものではないのか。それとも本当にそう感じさせる「事実」であるのかを、再度自分自身に問いかけてみました。そして、再びグラスを傾けた時、あらためて先入観の裏返しから生じたものではないこと確信したのでした。

 また、不思議なことにそこに「イチゴ」の香りを明確に感じたのです。私は、多くのワイン雑誌や書籍の解説に登場する香りの表現などは、すべてが「らしさ」に過ぎないと思っていましたた。しかし、この時初めてワインというものに「イチゴ」そのものを、ダイレクトに感じたのでした。

 

老年のチャップリンの気分

 この34年を経たワインは、アルコール分も薄れた印象で穏やかで丸く感じられました。果実味も減退してフィネスなど感じられず、そのピークは遙か昔に完全に過ぎ去っているのは明らかです。しかし、その下り坂をけっして「転げ落ちて」はいないのです。すべての要素が完全なるバランスを保ちながら、ゆっくりと衰えてきたように感じるのです。あるいは、今この時点でその完全なるバランスがとれているのかも知れません。

 何かの記述に70歳を超えたチャップリンが、自分のバースデーイヤーに近いマルゴーを一人で飲み干したという話があったのを想い出しました。老人が一人で飲み干すことができるワインとは、まさにこのような優しいワインだったのではないでしょうか。この時、私はそのチャップリンの逸話を自らが疑似体験した気分にすらなったのでした。そして、こういう優しいバランスを持ったワインが存在することは初めて知ったのでした。

 

心揺さぶるような「感動」

 このワインは、ボルドー左岸のポイヤックという地域も、ムートンという銘柄も、そして1973年というヴィンテージも象徴したものではないでしょう。それは、今思うと、さらに20年程度つまり優に50年以上は経過したまさに古酒の印象だったのです。また、あのイチゴの香りは、一体どこから生まれてきたものなのでしょうか。

 おそらく、保存状態をはじめとしたありとあらゆる要因が重なりあって、この再現不能な偶然の産物が創り出されたのだと思います。この1本には、そう感じさせる説得力があったのです。実際、同時入荷したすべての液面は同様に低く、そのうち抜栓された幾本かの状態は非常に悪かったというのです。

 1973年のムートン、一級昇格という偉業、ピカソのラベル、さらにはピカソの没年、様々な重複がなければ、私はこのボトルを買わなかったはずです。そして、それをたまたまこの時点に抜栓したことも含めて、すべてが偶然の巡り合わせとしかいいようがないのです。これが、ワインという商品カテゴリーのほんの一部にしか過ぎないヴィンテージワインの醍醐味であるとともに危険な部分なのかも知れません。

 これを理解するには、まさに実践し体験するしかないです。また、理解してしまったならば、さらなる探求のために繰り返さざるを得ないのです。雑誌「ワイナート(美術出版社)」の記述によくある「飲まねばならない」「開けなければならない」という表現の意味もよくわかるようになりました。

 このワインは、私をそのような方向へと導いた衝撃的な1本だったのです。その後も、この記念すべき1本をきっかけとして、リスクあるものに幾度チャレンジしたことでしょうか。度重なる失望がありつつも、それを凌駕する「心揺さぶるような感動」との出会いが、稀に訪れるがゆえに余計始末が悪いのです。

Mouton1973